たなつものプロジェクトストーリーその1

日韓の農業交流をされていた農村牧師故オムテソン氏と韓国食文化、エゴマとの出会い。

高価な米より安価な雑穀の方が主食だった時代。先代が、地元の農家が作った雑穀の委託加工をやっていた歴史があった。

それが福島二本松で初めての「えごま油」と「雑穀」の始まり。

育った環境と韓国の食文化が教えてくれた「食」の大切さ

福島県二本松市東和地区(旧東和町)は中山間部の小さな町。製粉業の実家で生まれ育った木羽屋五代目次男(たなつものグループ代表)は、小さい頃から小麦や蕎麦、米はもちろん醤油、鰹節、昆布などの食材や自家農園で作る野菜、蔵には手前味噌に自家製の梅干しと漬物。その食材たちが、いつも身近な食卓に並んでいた。

自営業の家で祖父、両親が工場で仕事している中、小さい頃から自分で料理するようになり、いつしか「食」に深い関心を持つように育った。粉屋だけに粉がたくさんあった中、うどん、中華麺、蕎麦を製麺場で製麺して自分で食すということをやっていた。そんな青年期を送りながらも将来の夢は特別なく、ただただ上京したいがために大学進学で福島を離れる。

大学時代ほとんど勉学には励まず、中華料理店で調理アルバイトと美味しいお店の食べ歩き。料理の楽しさ、食べることの幸せをより感じるようになった。

六年間東京での生活の後、福島へ帰省し、食とはかけ離れた企業に就職。働きながらも自分のホントにやりたいことは何なのか自問自答の日々。

やはり食に携わる仕事がしたい。実家は兄が継ぐのか?

地元愛に溢れた自分は、兄が実家を継がないと言うなれば自分が継ごうと心の内には決めていた。そんな中、兄が福島へ戻り、製粉業である実家を継ぐ決意を固めた。

自分がやりたいことはホントに何なのか?

迷走する中、父に韓国へ連れていかれた。初めての海外が韓国。

そこで農村牧師故オムテソン氏と出会い、韓国の文化を知る。文化の違い、自分の考えの小ささ、人生における未熟さを痛感しながらも、儒教という教えに基づく医食同源である韓国食文化のすばらしさに感銘をうけた。

当然辛い食べ物が多く、その中でも雑穀、豆、油、発酵食、そしてエゴマ葉、エゴマの実、エゴマ油を日本人より日常食としている食文化を目の当たりにした。 穀物と雑穀、エゴマの栄養、食の大切さ、食べ物で強い体を作ること、また畑も見ながら食材を作る生産者の苦労を知るきっかけとなった。

その時に、作り手の苦労と食材の成り立ち、穀物の大切さを知る。

自分がやるべきことはこれだと。

まず自分で畑に入り、種を撒き、「自然」と「農」を知ることを決め、先代のやっていた穀物商としての歴史を掘り起こそうと26歳の時に株式会社GNSを設立した。

たなつものプロジェクトストーリーその2

福島県二本松市東和。阿武隈山系中山間地域の特産農産物のひとつにするべく種を撒く。地元で自分が出来ることは何か?

穀物商として持続可能な特産穀物を作ること。
そして農業知らずとも、作り手と一緒に、自分で畑に入る。

「たなつもの」とは「種のもの」の意。

生まれ故郷の二本松市東和。農業従事者の高齢化、担い手と労働力不足、一般農産物での収益が確保しきれないこと、中山間地域特有の地形での機械化が出来ないことなど色々な問題がある中で耕作放棄地も年々増えてきている。

この中山間地域で付加価値がつき生産者の収支がプラスになる作物。一年二年で終わることがない持続可能な農業の取り組みになればという想いのもと、まずエゴマ栽培を主軸にしようと動き始めた。

まずは作ることから。生産組合「阿武隈山麓グリーンファーム」を設立。

二本松市東和地区は、阿武隈山系の麓にある。阿武隈山麓とは、福島県の中東部に位置し、南北に広がる広大な花崗岩類を基岩とした隆起準平原の丘陵地帯。豊かな植生と肥沃な大地が連なり、優しい景をなしている。

そうした阿武隈山麓市町村の農業生産者を呼び込み集結させ、循環型農業を目指した。無農薬・有機農業事業を地産の形態から掘り起こし、この地で推進していけるように…。

「たなつもの」とは「種のもの」の意。

穀物や野菜、あらゆる食材、われわれ人間も種から成るもの。

たなつものブランドの誕生である。

「えごま?それ、じゅうねんだべ?」

地元の人は、「えごま」の言葉を知らず….

【じゅうねん】とは一部の東北地域の方言。

「昔から煎って摺って喰うんだ。じゅうねん喰うと十年長生きするんよ」

栽培一年目、選定した種が…。

オメガ3系同植物である「亜麻仁油」がアメリカ、ヨーロッパで市場が伸びてきていること知り、まずは日本由来であるオメガ3系エゴマに着目。韓国でエゴマ栽培を自分の目で見て、体験してきたことを地元の知り合いの生産者三人に相談し、種を撒いてもらったのが始まりである。

栽培一年目、選定した種が土地に合わず全滅。
あきらめきれず、二年目も同じ生産者へ作付けを説得。

収量はともかく、二年目で福島東和産エゴマが初収穫された。

一方、製品の売り込みはと言うと…。

「えごま?胡麻ですか?」

エゴマというものの認知度がほとんどなく、売り込みに行っても手応えを感じることができなかった。

そんなとき、エゴマ油が体に良いとメディアで放映。少しずつ認知される機能性油のひとつになっていった。

エゴマが収穫され、初搾り。

その時の玉締め圧搾機から滴る黄金色のフレッシュで濃厚な一番搾りのエゴマ油を食した時、エゴマ油の本物の味に感動を覚えた。

まずは「農家の人自身にも食べてもらおう」

自分で作ったものを自分で食す。
自給自足の原点。

日本人が不足しているオメガ3系脂肪酸。

郷土食として食されてきた摺って食べる「じゅうねん」から、地元生産での「えごま油」が誕生した。

福島二本松市東和という中山間地域で生産者と一緒に作り、収穫をともに喜び、一緒に酒を飲み交わしながらの会合。

「来年も買い取ってくれるんだべ?作るから頼むよ。」

年々組合員の輪が広まっていった。

平成22年には生産者が200名以上になり、徐々に市場も開拓され、生まれ育った故郷で持続可能な農作物のひとつになった。

たなつものプロジェクトストーリーその3

えごま以外の雑穀栽培も始める。

食糧難の時代、周りの農家が作った雑穀の加工をやっていたという先代の歴史を、亡き祖父「七右エ門」から聞かせられていたことを思い出し、掘り起こす。

エゴマ油の販路が徐々に広がっていくと同時に、エゴマを自分も作りたいという生産者も徐々に集まってくれた。

健康志向も年々高まっていく中で、韓国では日常に食べられてた「雑穀米」という言葉と商品が少しずつ日本市場にも出回ってきた。

そんな中、穀物商として雑穀も手掛けようと「もちきび」「もちあわ」「高きび」「アマランサス」の雑穀栽培も促していった。

雑穀生産量日本一の岩手県から栽培情報を入手しながら、産地に行き栽培技術を学ぶ。 種を入手し、エゴマの生産者へ「雑穀」の栽培にも取り組んでもらった。

「鶏の餌を食うんか??」と言われ笑われながらも、エゴマ栽培と同じく自分で畑に入り、生産者と共に種を撒き、栽培方法を研究しながら少しずつ雑穀の生産地にもなっていった。

地産地消から始まる穀物食の在り方

自分たちが食するものは、まず自分たちでつくる。

地場で生産され、そこで消費されること。
それが命を支える「食」、あるいは「食文化」の基本となること。

「身土不二」ということばも、この「地産地消」を旨とするものである。

これが穀物商の歴史を掘り起こし、自分が地元でできることだと。

日本人が昔から食してきた米の消費量が年々減っていく昨今。

栄養豊富な雑穀こそがビタミン、ミネラル不足の現代人に必要なもの。

単品雑穀それぞれの栄養、食感、風味を研究し、ブレンドする種類と配合量を変えながら、食べやすく、そして美味しいブレンドを作り上げた。

たなつもの雑穀の始まりである。